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2013年04月09日

ビラ配りについて

通勤途上の駅でビラを配る集団がいた。交通安全に関するビラ配りである。その中でビラを配っている一人のおばさんが、「ここの人等は全員無視や!」と不満を漏らしていた。

そんな大きな声でよく言うなと思うと同時に、その瞬間からこの人たちが嫌な集団に変わった

なんだか、運転する車に故意にぶつかって示談金を要求するような当たり屋に遭遇した気分だ。

何で普通に通勤しているだけなのに、不快な気分にさせられるのだろう。僕の心は会社に着くまで、その事象に捕らわれてしまい、なんだか時間がもったいない気分にもなった。

確かに、僕も労働組合関係で、ボランティア的な、あるいは政治的なビラ配りを何度もしたことがあり、誰も関心を持ってくれないことを知っている。「よろしくお願いします。」と元気良く配っても、ほとんどの人が目も合わせてくれず、だんだん心が折れそうになるのも知っている。
だからこそ、ビラはなるべく取ってあげようと思っていたのだが、その言葉で取る気がなくなってしまった。

そういう不満がよぎったとしてもそれを口に出してはだめだよ。しかも、あんな大きな声で・・・。

いつものようにただ普通に通勤している人たちを不快にさせるようでは、交通安全を守るという大義があっても、それは慈善活動ではなく、迷惑行為だよ。

僕はビラ配りやティッシュ配りは、みんなに無視されても、心が折れそうになるのに耐え、最後まで笑顔で配り続けることができるのかという一種の修行くらいに捉えてやってた。

それくらいの気持ちで心にゆとりを持って、ビラを配った方が得るものがあると思う。

っと、これは昨日の話なのだが、一日経って、今朝は別の人たちがティッシュ配りをしてた、テニススクール勧誘のティッシュだから、交通安全啓蒙と違って、やる気が違うのか、あるいは昨日のことがあったからコントラスト効果が働いてたのか、すごくハキハキしてて、すがすがしいティッシュ配りに見えて、思わず笑顔で受け取ってしまった。

ちっちゃなことではあるが、昨日とは違って、明るい気持ちで仕事を開始できた。


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posted by air_water at 23:37 | 京都 ☀ | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記etc | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月08日

『読書について』を読んで

『読書について』

著者:ショウペンハウエル




読書会の始まる前に教えてもらったショウペンハウエルの読書についてです。こんな本読んでると、なんだかかっこいいですね。

その紹介の仕方は、「読書に対する考え方が変わるよ」でした。

どういう風に読書すべきかが書いてあるのだろうと思って読み進めてました。

第1章は「思索」というタイトルで、思想家とはかくあるべきと主張されます。常に考えろ!と言ってます。特に読書に関しては、「考えたくなければ読書すればよい」といい、いかに読書が思索の邪魔をするのかということも書いてあります。つまり読書は他人の考えを追うに過ぎず、書物から読みとった他人の思想は、他人の食べ残し、他人の脱ぎ捨てた古着であり、思索の代用品に過ぎないと説明します。

そして、自分の思索で獲得した真理であれば、その価値は書中の真理に百倍も勝ると続けます。

第1章はこんな感じなのですが、読み始めてすぐに感じたのが、なんと明瞭簡潔な文章を書く人なのだろうか、ということでした。簡単にいうと分かりやすい。

それもそのはずで、第2章の「著作と文体」では、無駄に文章を長くしてはならない、簡潔に書かなければならないと説明してます。第1章を読んでる僕は言うだけのことがあることを知っているので、改めて感心しました。

さらに、駄文が氾濫するのは良書に出会う確率が減るし、時間を浪費することになる害悪である、とまで言ってます。

思索が少ない未熟者は、未熟者らしく、少ない思想をいたずらに膨らませることなく、自分の考えを明瞭簡潔に書くのがよいと説明します。

このブログで駄文を氾濫させている自分としては、恐縮させられることばかりでした。

また、量は少ないですが、会社でも特許やレポートを書いているものとしても反省させられます。

特許を書くときですが、分量が少ないとなんかまずいような、体裁が整ってないような気がして、文章を長くすることを考えたりしてました。

しかし、いたずらに文章を長くすると、ただ単に言いたいことが薄まっていくだけの効果しかなく、その読みづらくなった文章は特許チームの人の時間を無駄に浪費させることにもつながります。特許公開した後に、これを見る人の時間を奪うことにもなります。これは日本の産業競争力を低下させることにもなります。(そこまで考えなくてもいいかな?)

この本を読んでしまったからには、アイデアや考えが少ないことを隠すために、いたずらに文章を長くすることはやめて、アイデアや考えの少なさは反省しつつ、正直に明瞭簡潔な文章を書かなければと思います。

明瞭簡潔な文章を書いて、いたずらに文章を長くしていた努力の時間を、新たなアイデア創出の時間に回した方が、より生産的です。

明瞭簡潔な文章を書けるようになるという課題もあります。
技術開発に於いて、文章の簡潔さというのはどこからくるのかと考えると、この本で言っているような、哲学的な思想や思索と大差はないと思えます。つまり、哲学と同じように、どれだけ考え抜かれた技術であるかどれだけトドメの検証がなされているかにかかっているのだと思います。

やはり技術的な思索に時間をかけることを心がけねばなりません。だめ押しの検証もきっちりやらないと、その文章に力強さはでません。いわゆるわかりづらい文章になってしまいます。この辺りを考えながら計画を立てないといけないですね。

さて、話は本書に戻って、第2章の「著作と文体」では、文法の大事さも教えてくれます。簡潔な文章を書くには、明快な思索に加え、正しい文法で正確に意味を伝える必要があるということです。
悪い例としては、略語を使うこと、文章を省略することなどが挙げてあります。省略すると文章自体は短くなるのですが、重要なところを略しては逆にわかりづらい文章になるということです。

簡潔な文章を書くためには、十分な思索の上、頭を明瞭・簡潔にしておくことが肝要で、文法をいじって文章を短めても意味がないということです。

句読点の打ち方など、誤りの多い文章はだめなのです。胸が痛い。ちょっと句読点の打ち方はこのブログ書いた後で、見直そう・・・。

最後、第3章の「読書について」です。やっと本題のような気がしますが、実はこの章がもっとも短いです。訳者はすばらしく、なるほど、すべてが有機的につながっています。

読書で重要なことは、すでに大部分が述べられています。「つまり自分の思想というものを所有したくなければ、そのもっとも安全確実な道は暇を見つけしだい、ただちに本を手にすることである。」と説明される通り、読書は思索の妨げになるのです。

しかし、「説得力」「豊かな形容の才」「比較の才」「大胆奔放、辛辣、簡潔、優雅、軽快に表現する才」「機知、対照の妙をつく手腕」「素朴k純真」などの才能を所有していると、読書から得るものもあります。
著者は、上記のような才能(その可能性でもよい)を持っているものが、読書をすると

読書によって、それを呼び覚まし、明白に意識することができるし、そのあらゆる取り扱い方をみることができる。
読書によって、このような才能を所有したいという気持ちばかりでなく、勇気も強めることができる。
あるいはその使用の効果を具体的な例に照らして判断し、その正しい使用法を習得することができる

としています。

著者は生まれながらの才と説明します。そうは思いたくないですが・・・。

また、読む本は、良書を読むべきで、良書の場合は2回読むべきだと言います。どうやら古典を読むべきだと感じました。

とりあえずは、ショウペンハウエルの本を何冊か読んでみたいですね。
※ちなみにショウペンハウエルが、へーゲル大嫌いということは良くわかった。


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posted by air_water at 22:25 | 京都 | Comment(0) | TrackBack(1) | 読書術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月05日

零戦 その誕生と栄光の記録 を読んで

零戦 その誕生と栄光の記録

著者:堀越二郎




また、大東亜戦争関連の本です。こないだ『永遠の0』読んで、すっごく面白くて、先輩に勧めたら、この本を買ってしまったみたいでした。ただし、この本もすごく面白いということで貸してもらいました。ちなみに、代わりに先輩には『永遠の0』を貸しました。
先輩はすぐに読み終わって返してもらったのですが、僕は読み終えるのに時間がかかって、しかもメモをまとめときたかったので、だいぶ長い間借りてます・・・。

『永遠の0』も面白かったのですが、一応理系な僕は、こちらの方が面白かったです。

この本は、零戦開発の話で、開発された本人が書いてます。

大東亜戦争関連のどの本読んでも、零戦に対しては賞賛の嵐です。いったいどのように零戦が開発されたのかは、もともとすごく興味がありましたが、やっぱりすごい開発でした。

飛行機設計では当時遅れていた日本が、零戦開発によって一気に世界のトップに躍り出るという話で、それまでの常識を覆す新しい発想の技術が多く盛り込まれています。

日本海軍の妥協することないハイレベルな要求も、その開発の後押しをしたのだと思います。

一例を挙げると安全率の見直しです。当時安全率は1.8倍が常識だった中、その安全率を論理的に引き下げていくやり方は、さすが一級の技術者という感じでした。

日本海軍の厳しい要求から重量を軽くすることを迫られた堀越さんは、種々検討する過程で、部材の強度試験に立ち会った経験から、部材の破壊され方の違いに着想を得、材料軽減の方策を練ります。

つまり細い材料は弾性変形領域が大きく、太い材料は弾性変形領域が小さいということです。従って、細い材料は安全率を低く設定しても弾性変形領域を越えず、十分な安全性を保てるということです。
戦後、この安全率は堀越さんの論理に従い、改定されることになるのですが、当時の世界中に通用している厳然たる規定に立ち向かうのはまさしく挑戦だったでしょう。

その他にも人間工学的な観点から改良した操縦性の開発など目を見張る着想からの緻密な検証といったものがありましたが、長くなるので開発事例はこの辺りで終わります。

また開発する過程でテストパイロットの話も出てきます。そのパイロットは試作機のテストをするのですが、開発段階の飛行機に乗るなんて考えただけでも恐ろしい話です。
基本パイロットは、パラシュートを身につけ、危険な時は素早く飛行機から離れパラシュートで落下することになっています。

それでも、不慮の事故というのは起こるもので、零戦の開発の中でも二人の命が亡くなっています。
しかし、その命は決して無駄にされることはなく、事故原因の分析が徹底的に行われます。

ここで活躍されたのは松平技師で、不眠不休で、先入観を入れることなく、鋭いカンと、理論と簡略な模型実験によって一見大胆ともいえる結論に到達します。その結論から改善がなされ、さらに優秀な飛行機へと変化を遂げていきます。

零戦が完成すると、少しずつ戦績を挙げ、世界最高の名を手に入れます。情報統制もあり、当時、日本人でその優秀さを知る人は少なかったみたいです。

最後には、物量に勝るアメリカの新兵器開発によって零戦も影が薄くなっていくのですが、開発された当初の圧倒的な能力差は、すごく、日本人として誇らしかったです。

この本から学べるのは、常識の打ち破り方考えつくす忍耐考えた論理を検証していく緻密さ妥協しない不良原因の追求などたくさんあります。
自分の開発にも活かしたいと思います。


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posted by air_water at 23:35 | 京都 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 国家、日本人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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